【自分】正しいこと?しかできなくなる病

 書きなぐりだから意味がつながっているかはビミョ。個人的に残しておきたいだけス。


 人は通常、自分に近しいものは大きく、遠いものは小さく評価する。あたりまえだが。家族、友人、恋人、他人。これらを区分けしているのは俺らが「主観」と呼んでいる認識方法だ。これをニーチェは「遠近法」と表現した。

 あのときの俺は、遠近法が完全に狂っていた。嫌いな人間にやさしく、好きな人間には距離をとって接していた。意味が分からない。意味が分からないだろう?俺もわからない。

 バランスをとったつもりでいた。
 大学入学当初、俺はいろいろあって自棄になっていた。親友を失ったからだ。親友と、いろいろしたいことがあった。それがダメになった。大学なんてどうでもよかった。

 ああもう、こうなったら自分の嫌いなことをしよう。入りたくないサークルに入り、興味のない奴と親しくなろう。そうすることでバランスをとった。ネガティブ一直線になることで、楽しく過ごす未練を断ち切ろうとした。バカのとる行動だ。

 自分の欲求を無視する代わりに、客観的に正しいことにすがった。困った人を助け、めんどくさい役を引き受けた。長く続けていると、嫌なことでも習慣になる。俺は自分の思う「正しいこと」しかできなくなった。どんなに嫌だと思うことでも、嫌だとおもう人にも、むしろ積極的に接するようになった。不思議な事だが、そうすることしかできなくなった。ここらへんのニュアンスが伝わるかわからない。心のなかで「絶対にやりたくない!」と拒絶することでも、身体がそれを実行してしまうのだ。

 そこらへんのストレスが溜まって、いまこうしているわけだ。

 「臆病な人は幸福でさえも怖がる」そういったのは太宰だったか。俺は臆病だった。後ろ向きになることで、自分を甘く守った。親友を失ったことを担保に、逃げを正当化した。腹が立つ。

 人生は固定概念を身につける時間ではない。高い授業料を払った。

 腹が立つ。

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