2013年第10週「自称躁鬱の予後経過1」

 先週辺りから自分を「躁鬱」と認識することで、ちょっとだけ変わったことがあった。

・落ち込む前に気づける・ハメを外す前に気づける
 皆もあるかも知んないけどさ、特に意味もなく、ふと凹んだりするときあるじゃん?俺はそういうとき「あー死にたい。美少女ハーレム作れないしお金持ちじゃないし現実と理想のギャップでできた谷に身を投げて死にたい」とか無性に考えちゃうのね。今まではそうだった。
 自分を「躁鬱」だと考えると、落ち込むまえに「あ、これやべえ兆候だな」って気づけて平常運転に戻せるの。これまじスゴイ。大発見。

 「他人はどうでもいいけど自分にはしっかり罰を与える」ってスタンスで生きてきてて、なんつーか「許す」「腹8分目」「落ち込むのも盛り上がるのもほどほどにしとく」みたいな命令を自分に与えてこなかったの。俺がコントロールできるのは俺だけだから、厳しくいかなきゃって意識が強かったんだと思う。結果はブログを見て頂ければわかるが失敗だった。周りに(自分にも)悪影響を与えるだけだった。
 まあ気づけたんだから良しとしよう。今の俺にはいくばくかの余裕がある。

 平常時の俺はそこそこ(やっと人並みに)冷静で「結果がでないなら別の考え方で生活してみましょう」と自分の変調を観察してる次第であります。結構たいへんです。「当たり前」を捨てることになってますから。

・正しい人はおっかない
 「俺のハートに湧き上がってるものの解釈はひょっとしたら間違ってるのかもしれない」と考えるようになってから、「自分の感情は正しい」と考えてる時の人間の怖さを再認識した。

 マイ常識が味方してくれるから、血統書付きの憎悪には際限がないし、「事実を述べたまでだ」って顔で差別してくるからね。ここらへんで高校中退したときに教習所のおっさんに教習を拒否された思い出が蘇ってくるんだけど、何の得にもならないから再び脳の隅に追いやっておく。いつだっていじめをするのは常識人なのよね。これには自戒も含まれる。


 俺はもう躁鬱って開き直っちゃってるから、好きな子以外の差別的は発言は受け流す覚悟でいるけど、世の中ってやつぁ心が狭くて差別的だよね。「ちょっと嫌だな」って感じちゃうのは当たり前でさ、そこからどう優しくなれるかが勝負じゃん?

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