諦める自分を好きになれる人はいない

 多摩川大橋の上、太平洋から昇る朝日を眺めながらボケーッと「これから何のために働こうかなー」って考えてた。

 俺は働くのに理由が必要になるナンギー人間です。ほとんどの人は、なんとなく学校いって、なんとなく働いてーーができるかと思いますが、俺にとって組織・集団というものは非日常なものであり、何かワンステップないと加入しようと考えません。これは幼少時代から周りの話題についていけず、居場所のない便所飯生活を成人まで送っていたからだと思います。いちおー社交的にはなれるんですが、スイッチが入らないと永遠と穴ぐらにこもるタイプです。

 つい最近まで引きこもる方法を考えてたんですが……引きこもってエロゲーのレビューを書き続ける環境があれば満足といえば満足なんですが……

 生き方として面白くない。具体的にはブログのネタにならない。ネタになる人生、狂った人生ってのが俺の希望です。個人の幸せよりも周りから見て笑えるかが価値基準の大黒柱です。これは自己評価が極端に低い人間が最後に見せる光みたいなものです。臆病な人間は幸福すら怖がるって太宰先生がゆってました。せめて笑ってもらえる人生を送って、いつか自分を認められる日がくるといいなとおもいますまる。

 「復讐心」みたいなものが胸の奥にこびりついてます。特定の誰かに鉄パイプでお礼参りしたいわけではありません(したい人の名前忘れちゃいました)。今までやりたいことたくさんあったはずなのに「クソが、クソが」と嘆きながら何もできなかった自分を否定したいんだと思います。割り切れないんでしょう、そういう部分で、非常に子供チックです。

 行き場のない怒り、これを利用して穴ぐらから這い出ます。出た瞬間に塩かけられたナメクジみたいに消滅してしまうかもしれませんが、諦めたら諦めたで「こんな人生いらねーやー」と命ポイ捨てにする可能性があるのでたぶんこれでいいんです。人とつながってない命は値段安すぎて困る。

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