人生はゲームみたいに何度でもやり直しが効く

 ブログの自己紹介を書いてたんです。以下抜粋。

【中の人の歴史】
・大学卒業後、体育会系の会社に就職。就職先で親の宗教について色々言われ、ちょうど20時間勤務で血便でてたりして色々参っていたので退職。
・退職後、なんか騙されて無一文になり池袋あたりでホームレスになる。塩を舐めて生きる。
・その後何とか復帰。だが怪我をして仕事ができなくなる→餓死しかける。
・その後ギリギリの所で復帰。底辺っぽいところで自殺する仲間を見送りながら泥のように働く。
・ある時期から「出勤しようとすると倒れる」症状が止まらなくなり「このままでは死んでしまう」と思って死のうとするが止められる。
・よくわからんが治療をすることになる。しかし途中で援助を打ち切られ、生活保護も断られ本当にダメになる。
・twitterで自殺実況してたら色んな人に助けられ、働いて就職活動←いまここ

 ちょっとインパクト重視でバッドイベントを抽出して書いたんですが「よく生きてるなー」と驚きました。2年程度の歴史ですが、どこで死んでてもおかしくないじゃんコイツって思いました。

 運もありましたし、他者からの手助けもありました。
 特に餓死しかけてたときは、夜中にベンチに放って置かれてるコンビニ弁当を発見しなければどうなっていたかわかりません。twitterで食料やら働き先やら工面して頂かなかったら無気力のまま終わっていたかもしれないです。

 強い意思で生きているとは、とても言えませんね。
 ただ、俺は極端に後悔しない性格で、上記のようなイベントの後も「まあ過ぎたことだし」程度の感情しかないです。そりゃNow死にそうな真っ最中のときは激情が蠢いていますが、過ぎてしまえば賢者モードです。

 生きてれば年齢も体力も環境も変わりますが、「どう生きるか」は誰にも邪魔されません。極小ながらも俺たちには選択の自由があり、そこには哲学の入る余地があります。過去は変えられませんが解釈はいくらでも変えられます。自分の解釈次第で何度だってやり直しができるし、何歳からでもやり始めができます。

 なんだか胡散臭い話になってしまいました。
 「子供を事故で失った」「最愛の人が殺された」等、立ち直れないほどのダメージを負いながらも、再び立ち上がろうとする前向きな意思のことを、キリスト教のある一派では「神の意志」と呼ぶらしいです。さらに胡散臭い話になったことをお詫び申し上げます。

 まあとにかく、俺らの身体には自分では信じられない程の精神修復機能があります。「もう終わりだ」と絶望していても、生きてる限り「その先」があります。その先はきっと落ち込んでる時よりマシになっているはずです。落ち込んで立ち直ってを繰り返していると「きっとすべてがうまくいく」とか言いだす人がいます。世の中そんなにうまくいく訳ねーだろと反論したくもなりますが、当たらずとも遠からずだと思います。

2 件のコメント :

  1. 結構みちゃった
    おもしろかった

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    1. そう言って頂けると励みになります。
      ちなみにですが、僕の容姿はもっと面白いです

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