金と時間と記憶について

 人生は短い。俺たちが一度に思い出せる「人生」の量に限りがあるからだ。

 どんなに充実した毎日を送っていても、まるで一瞬のことのようにしか感じられない。残念ながら、何十年分の記憶を一度に想起できるような複雑な感情機構を人間は持ち合わせていない。頭の中に留めておける短期記憶なんて高が知れている。思い出している間にも、俺達は忘れている。
 人生が、たった3分で終曲するロックンローラーの下品な歌と同程度の長さであることに、どこかで気づいてしまう時期がやってくる。

  そういえば最近、有名な企業の年収と内情をネットで調べていた。30にして900万もらっている銀行マンが「金が足りない」と嘆いていたり、同い年で400万の設計士の兄ちゃんが「好きにやらせてもらっているし、満足しています」と落ち着いた風なコメントを残したりしていた。

 都会に住んでいれば、年収が2、300万増えたとしても、部屋がひとつ多い賃貸に引っ越せるか、部屋がひとつ多い家を買えるかぐらいの違いしかない。サラリーマンで稼げる年収にはその程度の差しかない。

 独立した個人で考えたとき、年収はほとんど慣れのようなものだ。暮らしていけるだけの金が確保されていれば、高級酒だろうと安酒だろうと人は楽しく暮らせるようになる。俺たちには工夫する脳みそと、すぐ忘れる脳みそが備わっている。

 リセットボタンは軽い方がいい。

 他人との比較がその楽しさを阻む。価値観を確立していないといくら稼いでも「金が足りない」と言い出すことになる。自分に足りないものを金やモノで埋めているように見える。ジャッジするのは無数に存在する他人だ。そりゃいくら金があっても足りないだろう。これにはものすごく自戒が込められている。

 わけのわからん金の為にやらされて働いている時間は辛い。

 それをどうごまかしていくかを「処世術」とか「大人になる」とか呼ぶのに、個人的には抵抗がある。子供みたいに愚痴を言って我慢してるだけで、胃にアルコールを入れるようになると大人と呼ぶらしい。
 嫌なら行動すればいい。もっと足掻けばいい。チャンスに備えればいい。まだやれることはある。楽しみ方なんていくらでもある。

 どうせすぐ忘れるんだから、塞ぎこむより開き直ったほうが人生楽しい。と最近思う。

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