【日本脱出編1】ただし無限を感じる

日本脱出を決意したものの、日本での立場がホームレスである。

家族は絶縁状態で保証人すらいない。

ここからのスタート。とりあえず明日メシを食う金が危うい。

 とりあえず日払い(週払いだと飯が食えない)のバイトで口を糊する。「緊急連絡先」の欄は適当に埋めておく。慣れたものだ。日払いの仕事はこちらを見て仕事を教えてくれる人もいれば、しゃべる権利を与えてくれないところまで様々だ。人は自分が信じる利益のために行動しているのだなと思う。

 ネットカフェのオープン席に泊まる。まんが喫茶ゲラゲラはオープン席がリクライニングになっており、狭いながらも腰に痛みを感じずに眠れる。しかも10時間で1000円ちょっとで泊まれる。俺みたいなヤツだけではなく、終電を逃したサラリーマン、酒とツマミが標準装備の肉体労働者、化粧っ気のない若い女性なんかも泊まる。俺が見てきた社会は、組織の中だと必要以上に干渉してくるが、赤の他人だと本当に何の感心も払わない。「よそはよそ、うちはうち」である。そのギャップがなんだか可笑しいし、今はそのギャップに救われもしている。

 だいたいこういうネカフェには「働きたい!でも家がないあなたにも利用できる公的扶助ありまっせ!」と謳っているチラシないしはティッシュが置かれている。生活費と住む家を貸してくれるらしいが、よく見ると審査条件があり、俺は外れていた。ここで寝ている人も外れているんだろうか?

 隣のおじさんの不規則なイビキを聞きながら目を瞑る。ここは温かい。これは2月初旬の追憶だ。外だったら寒くて寝れない。一度、奈良の県境の山で一夜を明かさねばならない状況に追い込まれたときは寒かった。公園のトイレで夜風を防いで眠ろうとしたが、身体が眠ろうとすると心臓がバクバク鼓動して反射的に目が覚める。眠るにはじっとしている必要があるが、じっとしていると体温が下がる。あれは大変だった。

 そういえば街のホームレスは冬になると街から消える。春になるとまた戻ってくるが、それは俺がホームレスを群体として認識しているだけであって、個体のホームレスはどこかで死んでいるのかもしれない。俺もそうなるかもしれない。つらいのは最初だけで、慣れてしまうと「明日の仕事は交通費高すぎて割が合わない」なんてことを考える。朝起きたらタオルで身体を拭く。風呂の機会が少ない生活にも慣れた。

 なぜ家なし金なしコネなしで海外に行こうと思ったのか。現実逃避なのか。遠い先の目標にすがりたかったのか。
 ひとつ認識しているのは、俺はこの社会ではもうダメで、それはもう本当にダメで、一見順応しているように見えても全てを捨ててホームレスになってしまう、そちらの方がむしろ楽だってぐらいダメなんだ。組織が回っている意味や、そこに生まれる感情も理解が届く範囲だが、納得はできない。ああやって毎日いろんなものを削って働き続けるのが、俺には自殺行為に見える。あれを続けてなんになるんだ。仕事して結婚して子どもを育てて幸せな人生を送るのが俺の幸せになるのか。なるわけねえじゃん。それは人の目を気にしてるだけだ。卑屈を避け、自慢気になりたいだけだ。

 こじれてしまった。もう寝よう。明日も仕事だ。

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